夫は料理好きらしい。
私にはその腕前が振舞われたことがないが、本人が好きと言っているから好きなのであろう。
「好きなことを好きに出来る」というのは羨ましく思う。
一方、私は料理が好きでも嫌いでもない。
「美味しい美味しい」と食べてくれるのは有難いし、作り甲斐もある。
でも夫とは違う。
趣味でやってるわけじゃないし、必要に迫られて作っている。
自分ひとりならご飯じゃなくてもいいし、口に入ればなんでもいいタイプだから。
きっと料理を始めるようになった過程の違いなんだろうな。
私の母は外国人だ。
薄い茶色の髪の毛にヘーゼルカラーの瞳。
ゴージャスな顔のパーツがとても美しい人。
いつも気高く、優しく、頭もいい。
父は留学中にこの完璧な容姿の母に一目惚れし猛アタックの末結婚したらしい。
しかし残念なことに、このゴージャスママは料理の才能だけがなかった。
いくら家族とはいえ人の作ってくれる料理を貶すのはどうかと思うが、
あれは「ゴミ」だ。
私だってこんなことを言いたくないが、食材のことをどう思っているのか。
もしも、食材に感情があるのならば、たぶん母は呪われる。
私が小学校2年になった頃のこと。
当時、両親と私は父の両親、つまり祖父母と同居していた。
ある日、唐突に祖父がキレた。
原因は母の料理。母はその時いなかったので祖父は思う存分キレた。
父も祖母も黙って俯き、祖父の怒りの言葉が頭上を通り過ぎて行く。
「どうにかしろ!じゃないとみんな死んでしまう!」
祖父が机に置かれた、母の手製の「トマトライスサラダオレンジソースかけ」を忌々しそうに睨みながら言った。
そこから家族会議をし、平日はなるべく母を私以外の家族が連れ出し、
残った家族が私に料理を叩きこむことになった。
父も祖父も特殊な仕事をしており、外との繋がりが強いため、
外国から来た母にお付き合いを教えるという名目で毎晩出歩いた。
その間に私は祖母から料理を教わった。
自分でも本を読んだり、親戚のおばさんやお姉さんに電話をしてとにかく頭に叩き込んだ。
だって私がやらなかったらみんな死んでしまうから。
幼い私はその時の苦しそうな祖父を思い出し、また、母の料理じゃないものが食べたくて必死だった。
サラダには柔らかい果物を入れてマヨネーズで和えてはいけない。
ご飯は白米のままが美味しい。甘いジュースはかかってないほうがいい。
なんでもパン粉をつけて揚げたら美味しく食べられるわけじゃない。それがどんなに美味しい柿だとしてもフライにしてはいけない。
肉も魚もジャムやアイスクリームで味付けしたらおいしくない。
私は数ヶ月でたくさんのことを覚え、味を確かめた。
そのためなら母以外の家族はたくさん協力してくれた。
味を知るためにいろんな料理店につれていってくれ、高い食材を買い与えてくれた。
生きるための努力だった。
母の名誉のために言うが、別に毒を盛られたわけじゃない。
ただ、不味いものを食べ続けるということは歪むのだ。
たまに出るのなら「これ美味しくないねー」で終わるのに、それが毎日だと歪む。
家族関係が歪み、食事の時間が楽しくない。誰も言葉を発せず、にっこり微笑む美しい人に愛想笑いをするしかないのだ。
おかげで私は小学生の間にたくさんの料理を覚えることが出来た。
母は私が純粋に手伝いをたくさんしてくれる良い子に育ったと喜び、家族も私の作る料理をほめてくれた。
包丁もガスも天ぷら油も普通に扱えるようになった。
煮物も揚げ物もおせち料理もケーキも作れた。
それでもたまにつくってくれる母の母国の料理だけはどうしてもかなわない。
髪を束ね、「これはママがgrandmaに教えてもらったの」と優しく微笑む母は
昔とちっともかわらず今でも美しい。
料理の腕と引き換えにその優美な立ち居振る舞いを手に入れたのだと思えば納得できるほどに。
人それぞれ、料理に思い入れがあるだろう。
夫にも母にも祖父にもgrandmaにも。
そして私にも。
私は夫ほど料理に情熱をかけられない。
家族が食べたいものを作り、それで満足してくれたらいいと思っている。
毎日、美味しいものが食べられることが幸せ。
家族が笑って食卓につけることが幸せなんだと思う。
その幸せがずっと続くために私は食事を作るのだ。